就職が決まった今のお気持ちは?
やっと決まった〜!と嬉しく、ホッとしています。
新しい環境が始まるので、頑張らないとな!と奮い立たせているのと同時に、ワクワクを感じています。
面接は何度かしました。働いてないブランクも長いし、就業経験がアルバイトしかないので「こんなもんかな」という印象でした。
面接の合否に一気一憂せずに、淡々とこなす様子を見ていて「すごいな」と思っていました。何かモットーはありますか?
見栄を張らず、できるだけ等身大でいることが大事だと思っていました。
受け入れられないことに落ち込みはしませんでした。
カランコエに来るまでに約8年。あまり感情移入せず客観視するだけの時間をそれまで過ごしてきたので、そのおかげかなと思っています。
家にいた期間がもっと短い期間でここに来ていたら、「なんで○○なんだろう?」「もっと○○だったら…」とダメなところを探して、病気が悪化していたかもしれないと思います。8年間は『自分の落ち着きを取り戻す期間』だったと思っています。
家にいた8年はどんな時間を過ごしていましたか?
なんとか大学を卒業しました。
基本的に、触られるのも触るのも嫌、自分のものに触るのも嫌。生活がしづらくてしょうがない。ちょっとしたことで癇癪(かんしゃく)を起こして地団駄踏んでいました。
家事をして安定をはかった時もあります。でも次第とそういう症状が落ち着いても働く気力がわきませんでした。
父の定年や母の病気などもあったので働かないといけないとは思っていたけど、何度か聞き流していました。その時に無理やり仕事をしていたら、悪化したり問題行動を起こしたかもしれないと今は思います。
カランコエに来たきっかけを教えてください。
自分の状態や今後のことなどを思案していたところ、カランコエの広告を見つけた家族から、行ってみないかと提案されました。
「昼間の家事どうしようかな」「人の中に入れたとして、果たして通い続けられるのか」としばらく考えました。結局、母親が納得するなら、とオープン授業を体験することにしました。オープン授業は最終日の授業を選びました。その間に服やメイクを整える必要があると思ったからです。
それまで基本的に家の中にいましたし、外に出るのは近所へ買い物に行くくらいだったので、見た目は気にしなくなっていました。襟元が擦り切れたTシャツを着て、髪の毛も自分で切っていたんです。
メイクをするのも久しぶりだったので、妹をアドバイザーとしてお店に連れていくことにして、一から揃えるために街へ繰り出しました。
「カランコエの体験授業へ行くと決めてから変わったね」と母は嬉しそうでした。
体験授業の内容はアドラー心理学だったのですが、「今までの5本柱」とか「コンプレックス」というような話をしていて、こういう考え方があるのかと目から鱗が落ちました。「現在を選んだのは自分」と思っていたのですが、授業を受けたことでなにか視界がひらけたような感覚がありました。
そして、「行き続けられるかわからないけど、行けるだけ行ってみるか」と通所を決めました。
アドラー心理学の内容をきつく感じる人もいると思うが、納得できたのはなぜ?
時期がもう少し前の私だったらきつく思ったかもしれません。でも今の自分を選んだのは自分だから自分でなんとかしなくちゃと1、2年ずっと思っていたんです。
最初に受けた授業がアドラー心理学じゃなかったら通ってないかもしれないですね。
体験したのはちょうど総まとめの会で、全体像が垣間見られたことは本当に巡り合わせ、奇跡ですね。なるべくしてなっている、出会うべくして出会っている。
授業を受けて、目の前にかかっていたもやのようなものが晴れた気がしました。
カランコエにきてどんなことが変わったと思う?
まずは見た目を気にするようになったのが大きなことでした。
どこかの店の『店員さん』なら名前はそんなに重要じゃない。それがここに来るとなると、自分の名前をぶら下げていることになる。だからちゃんとしなくちゃ!と思いました。
通所することで生活様式が変わり、それに対応するために意識改革をしていったのですが、自分の力だけではなく、外からの力でちょっと無理やり変えるのが自分にはよかったんだと思います。カランコエを添え木にして、だんだん添え木をはずしても立てるようにやってきたかんじです。
余裕ができたからか前ほど怒らなくなりました。何かにつけてアンテナを張っていましたが、今はそれが減りました。
家族とも以前のような良い関係に戻れました。一日のどこかでは必ず笑っていて、外まで聞こえるくらい(笑)。笑っている間は辛いことが頭にありません。
でも実は自分がこもってた時も、良くも悪くも変わっていないんです。向こうは何も変わっていなくて、自分で自分を下げていただけなんですよね。
他者比較で劣等感を抱いていたけれど、カランコエに来て「確かにそこに向かって動いている」と感じることができました。とにかく歩き出したことで「何も行動していなかった今までの自分とは違う」と自信になりました。
内面的には自分軸ができたような気がします。木の幹がしっかりしてきたというか、授業や人との関わりで枝葉を伸ばし、ときには受け流し、ときにはそこらへんに落ちていた小枝がそこそこ木に見えるようになったなぁ(笑)という感じ。
そのうち花が咲いて、実をつけられるようになるかなぁ。
将来、花や実をつけていくことはどんなふうにイメージしていますか?
今はまだ小さい鉢植えだけど、もう少し大きくしてだんだん枝葉を伸ばしていく。仕事だったら、時間を増やしたりとか積極的に動けるようになったりとか。いずれ自分より新しい子が入った時に仕事を教えるようなことがあるとしたら、ちゃんと吸収しておけばできると思うので、今の目的は吸収です。
今後は活躍できるフィールドを増やしていきたいです。何年か経ったら資格を活かす仕事に就いて自分も活かしていきたいと思っています。花や実はもうちょっと先ですね。
不安を覚えながらここに来た時の自分に声をかけるとしたら?
大丈夫だからうだうだ言わずに行け!
歩けるだけの足はある
家事をやるようになって、家の外に出るようになって、カランコエに来ました。
ゆっくりながら進んではいたかなと今は思います。
悩んで止まっている、ということ自体も何かしらの動きだと考えられるから、それも進んでいる、ということですよね。
行くと決めた自分の選択は間違っていませんでした。通えたことで確実に歩き始めたし、一つ結果に繋がりました。
ここに来るまでに8年。悩んで悩んで悩み抜いて選択したことだから、あの時に戻ってもきっと選択すると思うんです。あの8年も含めて自分。その年月を無駄にしたと後悔はしていません。だから後ろ向きにならずに、面接を受ける時もオープンにしてきましたし、これからもそうだと思います。
あの8年もカランコエに通った1年半も、なるべくしてなっているから今の状態も今の自分にも不満も迷いもありません。
悩んで自分で決める。誰のせいにもしない。そういうことがきっと太い幹を作っていくんだと思うんです。
皆さんへメッセージをお願いします。
思っていることをなんでも口に出してみてください。ここ(カランコエ)にはNOを言う人はいません。一緒に考えてくれたり、NO以外のアクションを起こしてくれます。「なんでも言って!相談してごらん」って。
それで悩みが晴れたり考えが進んだり変わったときには、心から喜んでくれる人たちです。見栄を張らず、等身大の自分で大丈夫。
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